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最高裁判所第二小法廷 昭和63年(行ツ)189号 判決

千葉県柏市松葉町六丁目三四番地の一

上告人

中村忠

右訴訟代理人弁護士

井上猛

千葉県柏市あけぼの二丁目一番三〇号

被上告人

柏税務署長

柳田司

右指定代理人

植田和男

右当事者間の東京高等裁判所昭和六二年(行コ)第九四号所得税更生処分取消請求事件について、同裁判所が昭和六三年九月二九日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人井上猛の上告理由について

上告人がした本件譲渡に係る建物が租税特別措置法(昭和五八年法律第一一号による改正前のもの)三五条一項にいう「その居住の用に供している家屋」に当たらないとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 香川保一 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭 裁判官 奥野久之)

(昭和六三年(行ツ)第一八九号 上告人 中村忠)

上告代理人井上猛の上告理由

原判決には、次に述べるように、事実認定の過程において、経験則違背、理由不備ないし齟齬の違法があり、到底、破棄を免れないものである。

第一、原判決の構造について

第一審判決及びこれを全面的に引用する原判決が上告人の請求を棄却した理由は

「上告人の本件資産への居住は、もつぱら措置法三五条一項の適用を受ける目的で居住の用に供しているかのような外形を整えるためになされた一時的なものにすぎ、本件家屋は、到底上告人自身がその生活の本拠としていたものではないのであつて、措置法三五条一項の特別控除の規定を適用すべきものとはいえない」

というものである。

原判決が右の如き結論を導いた根拠は必ずしも明確ではないが、判決文の全体を参酌すると、

「1 上告人には、昭和五七年一月二六日以前に、本件家屋を売却しようとの意図が、まず存在した。

2 然る後の、昭和五七年二月初旬頃、本件家屋に入居した。

3 入居後、短期間で、本件家屋を売却した。

4 従つて、右入居は、措置法三五条一項の適用の外形を整えるためのみの目的をもつてなされた一時的なものである。」

という構造であると思われる。

しかしながら、証拠上、上告人が本件家屋に脱法目的でなく居住していたことは明らかなのだから、右認定は、明らかに経験則違背、理由不備ないし齟齬の違反を帯びるものである。

そこで、以下、

第二において、上告人が昭和五六年一二月から本件家屋に居住していたという

客観的事実

第三において、上告人の居住は

一 「措置法三五条一項の規定の適用を受けるためのみの目的で入居した場合」ではなく、

二 「その居住の用に供するための家屋の新築期間中だけの仮住いである場合」でもなく、

三 「その他一時な目的で入居した場合」でもないこと

第四において、居住期間は短期間でも措置法三五条一項の適用を防げないものである

ことを、各論証し、もつて、原判決の認定に経験則違背、理由不備ないし齟齬の違法があることを、証明する。

第二、上告人が昭和五六年一二月から居住していたという客観的事実について

一 原審の判断

原判決は、上告人の住居移転の経緯、居住期間、居住の態様を根拠として、上告人は昭和五七年二月初旬に脱法目的で本件家屋に入居した、と認定している。

そこでまず、上告人の本件家屋に居住した時期と事実について検討する。

二 上告人の本件家屋への居住移転の経緯

1 上告人は昭和四五年ころまで東京都品川区双葉の二葉住宅に妻美佐子及び長男昌明とともに居住していたが、妻との折り合いが悪くなつたため(夫婦関係調整の調停も行つている(甲五号証)別居し、昭和四五年九月に本件住居に転居した。この本件住居は、昭和四三年七月二四日に土地を購入し、同四五年に家屋を建築したものである。

2 その後上告人は、昭和四八年六月に勤務先の日本ペイント東京事業所から愛知県半田市の関連会社に出向を命じられ、単身赴任した。その際本件家屋が空き家になつてしまうので、これを冷水宣夫に賃貸した。

3 昭和五〇年六月に再び東京事業所勤務になつたが、本件家屋には賃借人冷水宣夫が住んでいて明け渡してくれなかつたし、また以前として妻との折り合いが悪かつたため別居を続けることにして、東京都杉並区高円寺の小川アパートに居住した。

4 昭和五四年六月には、横浜市戸塚区平戸町の敷地及び住宅(平戸町住宅)を購入し、同年一一月ころより右住宅に居住した。

5 昭和五六年三月ころ、日本住宅公団から平戸町住宅の売却を条件に柏市松葉町の土地を購入し、右条件を履行するために有楽土地建物株式会社に平戸町住宅の売買仲介を依頼したがなかなか売れなかつた。

6 昭和五六年一一月一五日、冷水との本件家屋賃貸借契約が解約されたので、控訴人は平戸町の住宅の売却を促進するため同住宅を空屋としたほうがよいと考え、本件家屋に居住することにした。そして本件家屋を修理する期間、一時小川アパートに身を寄せた後、昭和五六年一二月一一日より本件家屋に居住した。

この時点では、上告人は、平戸町住宅が売れたら柏市の土地に家を新築して住み、売れなかつたら柏市の土地を日本住宅公団に返還して、本件家屋に住み続けようと考えていた(以上第六回原告本人調書一丁~五丁)。

7 なお被上告人は、本件家屋が昭和四七年一〇月から譲渡の日の直前である昭和五六年一一月までの間約九年間賃貸されていた一事をもつてしても本件家屋は措置法三五条一項の適用を受ける「居住の用に供している家屋」には当たらない(昭和六一年四月一一日付準備書面)と主張しているが、これは全く失当である。上告人は、昭和五六年一二月一一日以降居住していたから、本件家屋が措置法三五条一項の適用を受ける「居住の用に供している家屋」に当たると主張しているのであつて、それ以前に本件家屋が賃貸されていたのかどうかということは、この主張には、無関係だからである。

三 本件家屋への居住を裏付ける証拠

上告人が前述のような経緯をへて、昭和五六年一二月一一日より本件家屋に居住したことは、次の各証拠から明らかである。

1 近隣居住者の証言

(一) 上告人が昭和五六年暮れから五七年七月頃まで本件家屋に居住していたことにつき隣家の庄司武治・庄司龍男両名の証明書(甲二号証)及び草薙晋の証明書(甲六号証)が提出されている。この点につき、被上告人側からは、河野左七の証言を記載した調査報告書(乙第二一号証)が提出されており、その中で同人は、上告人の居住は、「私共が自分の家に住んでいるとは、全然異質のものと思います」と述べている。しかし庄司武治は甲第二号証の肩書にも記載されているとおり、当時の自治会班長であるうえ上告人宅の隣に住んでおり、そのまた隣に住んでいた河野よりも上告人の近くに住んでいるのだから上告人の生活状況をよく把握しているはずである。上告人は公判廷における本人尋問でも述べているように、朝早く家を出て帰りも殆ど夜の一〇時過ぎになるので、河野とは全く顔を合わせておらず、同人には上告人の生活状況は分からなかつたと思われる(第六回原告本人調書一五丁~一七丁)。

また河野は上告人が「昭和五七年四月から五八年三月まで二か月分三五〇円の町会費を支払つており」(乙第二一号証三枚目)と述べているが、これは明らかに誤りである。当時町会費については入会費七〇〇円、月会費は三〇〇円であり、二か月分を一緒に支払うことになつており、しかも上告人が支払つたのは五七年二月~七月まで六か月分であり、本件家屋から転出した後の五七年八月分以降は当然支払つていない(第七回原告本人調書九丁)。このことから考えても、河野の証言は極めて不正確であり信用できないものである。

更には、河野は上告人に恨みを持つ者であり、故意に上告人に不利な事実を陳述した可能性が極めて高い。この点に関し、前出の権田実は、「弁護士さんに見せてもらつた、乙第二一号証という書類によると、本件家屋の隣の隣の住人の河野佐七という人が『(中村さんが)本件家屋の洋間にイスなど多少の家財を置き、時々ペンキなどを塗つたりしている姿を見かけたことはありますが、単なる寝泊まりだけではなかつたですか』『中村さんは~形式的には住んでいたことになりましょうが、実質となると時折来て寝泊まりする程度であり、いわゆる私共が自分の家に住んでいるとは、全然異質のものと思います。』と言つています。

しかしながらこれは全くの虚偽です。中村さんの話しによると、この河野という人は、昭和五七年二月頃、中村さんに、『本件家屋を売つてくれ』といつて、断られています(この事実は、乙第二一号証のなかで河野氏自身も認めています)。中村さんは、河野氏のこの申し出を断つた後に、第三者に本件家屋を売却したので、河野氏に深く恨まれているということです。従つて、河野氏は中村さんを不利にするために、故意に事実と相違することをいつたものと思われます」としている。

原判決は、庄司武治・庄司龍男両名の証明書(甲二号証)及び草薙晋の証明書(甲六号証)について、「作成の経緯も明らかでない証明書に過ぎず、措信することができない」としている。しかしながらこの論法でゆけば、自分の気に食わないあらゆる証拠を排斥することができるのであつて、ここにも、行政庁は常に正しいとする予断と偏見が存在するといわざるを得ない。

(二) 本件家屋を修理した工務店主である千島年男は、上告人が昭和五六年一二月中旬ころから、本件家屋に居住を開始したとの事実を、当時の状況とともに明確にのべている(甲第一〇号証)。この証拠は、単なる証明書ではなく周辺の事実も合理的に説明しており、しかも、その形式、内容からして、作成経過も明らかである。

(三) 上告人の友人である権田実は、上告人方を何回も訪れており、最初に訪問したときの訪問の動機、訪問の方法等を詳細に説明している。同人によれば、控訴人が本件家屋は転居したのは、昭和五六年一二月である(甲第一三号証)。なお、同証拠によれば、上告人が本件家屋に昭和五六年一二月に転居したということは、同人の友人間では周知の事実である(甲第一三号証第三項)。この証拠も、単なる証明書ではなく、周辺の事実も合理的に説明しており、しかも、その形式、内容からして、作成経過も明らかである。

(四) 以上のとおり、庄司武治、庄司龍男、千島年男、権田実が一致して、上告人が昭和五六年一二月から本件家屋に居住していると証言している。これに対して、上告人が本件家屋に居住していなかつたと証言する者はいない。わずかに河野佐七が、「私共が自分の家に住んでいるとは、全然異質のものと思います」と述べているが、これとても、上告人が居住していた事実を全面的に否定するものではない。

この点に関しては、被上告人に属する鈴木博証人は、本件家屋の周辺住人を調査したが、河野佐七だけからしか事情を聞いていないという(第九回証人調書三丁裏)。しかし、数軒訪問しておきながら、河野佐七の聞取書だけしか証拠として提出していないという事実は、逆に河野佐七以外の近隣住民は、上告人が昭和五六年一二月に引つ越してきたと、一致して述べたのではないかという推測を十分可能にする。

ともかくも、これだけの多数の人間が、上告人が昭和五六年一二月から本件家屋に住んでいるといつているのである。従つて、上告人が、昭和五六年一二月から本件家屋に居住を開始したということは、動かし難い事実だといわなければならない。

2 定期乗車券の購入・使用

上告人は従前の住居である平戸町住宅に住んでいたときは、自宅から通勤先である日本ペイント東京事業所に通勤する方法として、まず戸塚駅まで行き、同駅から品川駅へ行つていた(甲第七号証の図面参照)。従つて戸塚-品川間の定期券を持つていた(甲第一号証の一ないし四)。

本件家屋に移転してからは、バスで大船に出て、大船から品川まで国電を利用していた(大船のひとつ品川寄りが戸塚である)。このときは、会社の一括購入によつて与えられた戸塚-品川間の定期券(昭和五六年一二月一日から有効期間が開始するもの。)が手元にあり、その残存有効期間が昭和五七年五月三一日までだつたので、上告人としては、大船-戸塚間の定期券を新しく購入すればよかつた。そこで会社に対し大船-戸塚間の定期券の追加購入の申請をした(乙第一六号証)。会社はこれに応じて、昭和五七年二月一日から有効期間が開始する定期券を他の社員の定期券とともに一括購入し、上告人に与えた。甲一号証の六がその定期券である。

上告人が本件家屋へ転居したのが昭和五六年一二月一一日であるにもかかわらず、この定期券の有効期間が昭和五七年二月一日からとなつているのは、つぎの理由による。即ち、本件家屋から勤務先に至る経路には(昭和六一年四月一一日付原告第三準備書面三丁表(三)に記載したとおり)三通りの方法があり、引つ越してすぐにはその経路を確定しがたかつたこと、各経路を数回実際に通勤してみて、年明けころに至りようやく経路を確定し(年末年始の休暇期間があることを考慮すると、この熟慮期間はそれほど長くはない)、昭和五七年一月二〇日ころ会社に大船-戸塚間の定期券の付与を申請したが、会社では、各社員の定期券をを一括して購入していたので、事務手続の便宜上、毎月一日を有効期間開始時期とするものしか購入していなかつた。この事実は、甲第七号証の定期券の有効期間開始期日がすべて各月一日となつていることから明らかである(ただし、甲第七号証の一〇の定期券は、本件家屋を出て後、松戸に引つ越すまでの間、高円寺の小川アパートに仮住まいしていた期間のものであつて、上告人自身が購入したものである)。

このように、甲一号証の六の定期券の存在は、上告人がその主張する時期に本件家屋に居住していたことを雄弁に語つている。少なくとも、上告人が昭和五七年一月三一日以前に本件家屋に居住していたことは、この一事をもつてしても、決定的に明らかである(以上、第七回原告本人調書三丁~五丁)。

原判決は、この甲第一号証の六の定期券の存在を全く無視しており、極めて不当である。

3 電気と水道の使用

上告人が昭和五六年一二月一一日の入居以来、居住者として相当量の電気・水道を使用していることは次のとおり明らかである。

(一) まず本件家屋の電気使用契約者名義が上告人になつたのは昭和五七年四月以降(東京電力の回答によると、三月二一日。乙第一八号証の一)であるが、それは以下の理由による。

すなわち、上告人は昭和五六年一二月一一日の入居時に東京電力に電話連絡し使用開始通告した。ところが、賃貸人冷水は本件家屋を退去する際、近隣居住者に電気使用契約の解約と清算を依頼しており、右近隣者は、一二月一九日の定期検針に来た係員にその旨を告げて解約した。そのため、上告人が電話をした点では、まだ冷水の名義が残つており、上告人と契約するとダブル契約になつてしまうので受け付けてもらえなかつたのだが、上告人は自己が使用契約者になつているものと思い込んでいた。

以後、使用名義人不明のまま検針はされず、上告人が使用していることが確認されたのは昭和五七年四月(これは、上告人の記憶だが、東京電力の回答によると、三月二一日)になつてからであつた(第六回原告本人調書一〇丁~一三丁)。

この点に関し原判決は、「乙第二三号証の一によれば、昭和五六年一二月一一日は原告は一日中会社に出勤していることが認められること、仮に、東京電力で新たな使用開始の連絡を受けたとすれば、前の居住者との清算とは別にこれを受付けると思われることから考えると原告本人の右供述は措信しがたい」として、上告人の主張を排斥している。

しかし、この理由は全然説得力を欠く。というのは、一日中会社に出勤していたとしても、勤務中に電話をかけることができないということはあり得ず、あるいは、休憩時間または通勤途上で電話することも可能であるからである。又、「東京電力で新たな使用開始の連絡を受けたとすれば、前の居住者との清算とは別にこれを受付けると思われる」というのも、根拠を欠く思い込みによる完全な誤謬である。事実は全く逆で、東京電力では、二重契約は受付ないのである。

このような薄弱な理由付けをみると、何が何でも行政庁を勝たせたいとの意図のもとに、無理やり行政庁に有利に事実認定しているとの感を免れ難い。

(二) 次に、上告人が本件家屋の水道使用契約者になつたのは昭和五七年二月六日である(乙第一九号証の二)が、これは以下の理由によるものである。

すなわち、上告人は本件家屋に入居した日(昭和五六年一二月一一日)に水道局に通知した。ところが、冷水は水道使用契約の解約・清算も近隣居住者に依頼し、その近隣居住者は定期検針に来た係員にその旨告げ、これにより冷水の水道契約が実際に解約されたのは昭和五六年一二月二一日であつた。上告人が通知した時点では、まだ冷水の契約が解約されていなかつたため上告人の名義になり得なかつたのである。その後昭和五七年二月一日の定期検針の際に上告人が使用していることが確認され、二月六日に新規契約の検針がなされ、四月一日に定期検針がなされたのである(第六回原告本人調書一〇丁~一三丁)。

この点に関し原判決は、電気の場合と同様に、「原告が昭和五六年一二月一一日に本件家屋に転居して同日水道局に連絡したことは認められないので、原告本人の右供述は措信しがたい」とする。しかし、この理由付けも右(一)と同じ批判が妥当し、極めて不当である。

(三) 電気、水道の使用状況も、上告人が本件家屋に昭和五六年一二月一一日ころから居住した事実を示している。

まず、電気については、四月分の使用量が急増しているが、これは昭和五六年一二月以降の累積使用量を示すものである。

すなわち、原告第二準備書面五丁裏の一覧表(この一覧表の正確性は、電気については乙第一八号証の二、水道については乙第一九号証の一で証明されている。)によれば、昭和五七年一、二、三月分の使用量が〇で、同年四月分の使用量が突然大きな数字となつて登場する。これは、乙第一八号証の一(特にそのうち(7)の質問と回答)によれば、昭和五七年一、二、三月分の使用量がなかつたということを意味するのではなく、契約が存在していなかつたので使用量を記録していないにすぎないことが明らかである。とすれば、昭和五七年四月分(乙第一八号証の一によれば、検針日は四月五日)の使用量がそれまでの〇から突如として一四三という膨大な数字となつているのは、五月分以降の使用量から比較して、上告人が入居していらいの累積使用量がここで一挙に記録されたものとみなければならない。これを逆にいえば、四月五日までの累積使用量が一四三であるということは、五月分以降の使用量から類推すると、四月五日の数カ月前から上告人が電気を使用していたことを、強く推測させるものであり、昭和五六年一二月一一日から本件家屋に居住したとの上告人の主張と、完全に符号する。

次に、水道については、乙第一九号証の一の二枚目の記載によれば、昭和五六年一二月二日の検針の目盛りは九三五であり、同五七年二月一日の検針の時の目盛りは九四三であつた。従つてこの間、八立法メートルの水が使用されていることになる。ところで、昭和五六年一二月二一日まで使用者とされていた者は賃借人冷水であつた(乙第一九号証の二)が、実は、同人は、同年一一月一五日本件家屋を出ている(乙第二三号証。争いなし)。従つて、昭和五六年一二月二日から同五七年二月一日の間に八立法メートルの水を使用したものがいなければならない。これが上告人でなくて誰なのであろうか。この八立法メートルという数字こそ、昭和五六年一二月一一日から同五七年一二月一一日から同五七年二月一日までの上告人の累積使用量を示すものである。この事実も、昭和五六年一二月一一日から本件家屋に居住したとの上告人の主張を強く支持するものといわなければならない。

(四) 電気・水道の使用量は少なくない。

上告人の電気・水道の使用量は原告第二準備書面五丁裏の一覧表に記載したとおり、すなわち、電気の使用量は昭和五六年一二月一一日から五七年六月二二日までで合計二〇五キロワット(一月当たり約三二・四キロワット。乙第一八号証の二)で、水道の使用量は五六年一二月二日から五七年六月二二日までで合計五四立方メートル(一月当たり約九立方メートル乙第一九号証の二)であつた。被告人は使用量が少ないことを以て上告人が本件家屋に居住していなかつた根拠とするが、この使用量は何等不合理な数字ではない。なぜなら、前述したように、上告人は当時妻との折り合いが悪く単身で生活していたので、生活のわずらわしさもあつて、食事は外食で済まし、入浴・洗濯は勤務先の施設等を利用して済ませていたものである。従つて、本件家屋には殆ど寝に帰るだけの生活をしていたので、電気・水道はごく少量で足りたのである。(甲第一二号証。第六回原告本人調書一〇丁~一三丁)。

4 家財道具の存在

上告人の主張する家財道具の存否に関する原判決の認定は、「乙七号証の五及びその見取図によれば、有楽土地の社員が見分の際ラジオ等、世帯道具一式の存在を現認しなかつたことが認められるのであつて、先の原告本人の供述はにわかに措信しがたい」というものである。しかしながら、乙七号証の五及びその見取図をいかに子細に検討しても、「ラジオ等、世帯道具一式の存在を現認しなかつた」との記載は全くない。ここにあるのは、「家屋の内部には、フトン、応接セット、テレビ、冷蔵庫があつた」との記載のみであり、その他の家具があつたか否かには全然ふれていないのである。つまり原判決は、「~があつた」との記載を「~以外はなかつた」と無理にすりかえているのである。なぜこのような子供だましのようなすり替えをしてまで行政庁に有利な事実認定をするのか、全く理解し難い。

この点に関して、本件家屋を修理した工務店主である千島年男は、本件家屋内で、テレビ、タンス、洗濯機、冷蔵庫、応接セット、ふとん、世帯道具その他、量こそそれほど多くはなかつたが、通常の家庭にあるものはほとんどそろつていたと証明し、この事実はこれらの家財道具を移動させながら工事をしたのでよく記憶している(甲第一〇号証)。

また、上告人の友人である権田実は、何回も本件家屋を訪問している者であるが、本件家屋内で、テレビ、ラジオ、テープレコーダー、洗濯機、冷蔵庫、掃除機、炊飯器、こたつ、応接セット、ふとん、電気毛布、世帯道具その他通常の生活に必要なものは一通り全部そろつていた、と証明している(甲第一二号証)。

以上によつても、上告人が本件家屋を生活の本拠としていたことは、明らかである。

5 住民票の異動

上告人は長男の高校入試のための例外を除き、異動の生じた都度届け出ており、昭和五六年一二月一一日から翌五七年六月二一日まで上告人の住民票上の住所は本件家屋の所在地になつている。

この点に関し、原判決は、「住民票の異動が現実の住居の異動に対応しているかについては、これを認めるに足りる証拠がない」として簡単に退けている。しかしながら、転居したばあい、異動の届け出をするのは、住民基本台帳法に定められた国民の義務であり(同法二二条)、これに違反した者には罪則の制裁がある(同法四五条)。そして経験則上、この届け出をするのが一般の市民の常識であり(裁判官の異動の場合を考えられたい)、虚偽の届け出をするのは極めてまれである。従つて、住民票に異動の届けがある場合には、通常それが真実である蓋然性は極めて高い。よつて、住民票の記載が真実と異なると認定する場合には、その積極的な証拠が必要であり、「住民票の異動が現実の住居の異動に対応しているかについては、これを認めるに足りる証拠がない」との論理は、認めたくないから認めないという議論に等しい。

6 自治会への加入

上告人は本件家屋の上郷団地自治会に加入しており、同自治会の名簿にも記載されていた(甲三号証、甲四号証)。

なお、上告人が同自治会へ加入するように勧誘されたときには、既に、五六年一二月分及び五七年一月分の会費(納入期は五六年一二月初)は徴収済みであつたので、五七年二月から加入することになつたのである(第七回原告本人調書八丁~九丁)。

四 被上告人の主張に対する反論

被上告人はいくつかの事実を挙げて、上告人が昭和五六年一二月一一日から本件家屋に居住していたとは認められないと主張しているが、右主張はいずれも曲解もしくは誤解によるものである。

1 上告人は昭和五七年度分の「給与所得者の扶養控除等申告書」(乙一五号証)の住所地に平戸町住宅の所在地を記載しているが、この書類の提出期限は昭和五六年一二月一〇日であり、被上告人が本件家屋に引つ越す以前であるから本件家屋の住所を記載しなかつたことに何等不思議はない(第六回原告本人調書一八丁)。

2 勤務先である日本ペイント株式会社に提出した「通勤定期変更届」(乙第一六号証)の「(変更)年月日」の記載は昭和五七年二月一日となつているが、これにについては右三の2に詳論したとおりであつて、少しも不思議ではない。

3 さらに、モービル石油との平戸町住宅の賃貸借契約書(乙第一三号証)及び有楽土地株式会社に対する斡旋売買委任状(乙第七号証の四)の連絡先には杉並区高円寺の小川アパートの住所・電話番号が記載してあるが、これは、前述のように上告人は本件家屋には殆ど寝に帰つてくるだけの生活で、ここを連絡先にしても連絡のつかないおそれが大きいし(従つて電話も引いていなかつた)、会社にはプライベートなことで電話をしてほしくなく、それ以外で連絡のとれるところといつたら姻戚の小川アパートしか無かつたからである。特に賃貸借契約にあたつては、もしも上告人が転勤になつた場合(当時実際に上告人が栃木の工場へ転勤になる噂があつた)、転勤先から帰京した際に速やかに家屋を明け渡してもらうためには、平戸町住宅の他に本件家屋も所有していることが相手方に知られない方が好都合であるとの考慮もはたらいていたからである(第六回原告本人調書一九丁~二〇丁)。

この点に関し、原判決は、「栃木への転勤の噂のあつたことは疑わしい」と認定している。一般に、ある者の証言を裁判所が措信しない場合には、裁判所は、他のこれと対立する証拠(ないし経験則、論理則)を対照するか、その証言自体の矛盾を指摘するのが通常である。なぜならば、その証言に矛盾もなく、対立する証拠(ないし経験則、論理則)もない場合には、その証言が措信できないものであるという心証の抱きようがないからである。本件において、この「疑わしい」という認定の根拠となつた対立証拠は全記録を精査しても、存在しない。また、証言内容自体も何ら経験則、論理則に反するものでなく、矛盾も含まない。それにも拘わらず原判決は上告人の「栃木への転勤の噂があつた」との証言を否定している。ということは、とりもなおさず、上告人の証言がウソであると頭から決めてかかつていたということにならざるを得ない。ここでも、行政庁は常に正しいという、予断と偏見が見られる。

普通、過去のある時点において、ある噂が存在した、ということを証明するのは、至難である。しかしながら、上告人は、日本ペイントの社史、社内報、広報、労働組合の新聞、組合史、ビラ、組合内少数派の発行している新聞、ビラ等を調査し、ごく最近に至つて、ついに栃木への転勤の噂の存在を裏付ける証拠を発見した。これが資料として添付する「三十年のあゆみ」と「ぐんて」である。前者は、日本ペイントの労働組合が発行した三〇年史であり、その一一七頁以下には、会社が東京工場を宇都宮に全面移転する計画を有していたことが、明瞭に記載されている。もつとも、右計画は、昭和五一年に白紙撤回されたとなつているが、もとよりこのような経過は、会社と組合の上層部門の密室での話し合いであるから、上告人のような一般社員には知る術もなく、またその後復活したのかどうかについても知りようがない。とにかく、少なくとも昭和五一年まで、栃木へ全面移転する計画が実際にあつたのであるから、昭和五六、七年頃までその噂が残存していたとしても不思議ではないし、そのころその計画が復活していたとしても不思議ではない。また、後者は、労働組合内の少数派が発行している旬刊の職場新聞であるが、その裏面三段目には、現在においても、会社が栃木移転計画を有している事実が明瞭に記載されている。この二つの資料から合理的に推測すると、昭和五六、七年頃、栃木への転勤の噂があつたとの事実を、当代理人は疑うことができない。

4 また、被上告人はモービル石油との平戸町住宅の賃貸借契約書を第一九条に「二階西側和室の一室に一時貸主の荷物を保管することを承諾する」旨の特約事項が存在していることを問題にしているが、これも全くの誤解に基づくものである。

そもそも上告人がモービル石油との賃貸借契約書を作成したのは昭和五七年二月一四日である。契約書の日付が昭和五七年一月付となつているのは、家賃の支払いを二月分からとするために日付をさかのぼらせて記載しただけである(第六回原告本人調書七丁)。従つて、真実契約書を作成した二月一四日には、既に上告人は本件資産の売却を決意しており、本件資産を明け渡した場合、他に家具等の荷物等の荷物を保管する適当な場所がなく、このような特約をしたものである。

この点に関し、原判決は、契約書が作成されたのは、少なくとも昭和五七年一月二六日以前であると認定している。その認定の理由は、モービル石油の社員である谷口浩一郎が昭和五七年一月一八日に会社宛てに本件資産の借上社宅の申請をしていること、右申請が同月二六日に会社によつて承認されていること(乙第一四号証)、谷口浩一郎は、同月二八日認定上告人の預金口座に敷金及び昭和五七年二月分の家賃を振り込んでいること、これらの事実及び乙第一三号証から考えると、少なくとも昭和五七年一月二六日以前には、上告人とモービル石油間で平戸町住宅の賃貸借契約が締結され、敷金、権利金、家賃の具体的取り決めがなされていたと推認しうるというものである。

しかし、この理由付けは一見巧妙であるようにみえるが、実は極めておかしい。というのは、契約の成立と契約書の作成を故意に混同しているからである。これを説明すると、次のとおりである。

即ち、上告人は昭和五七年一月半ば頃、平戸町住宅について、一方で売りにだしておりながら、他方で賃貸の周旋も依頼しているのであるが、賃貸の周旋を不動産屋に依頼する場合には、売却依頼の場合が仲介であるのと違つて、賃貸の代理権を与えるのが普通である。つまり、家を借りようとする側からいえば、不動産屋へ行き、賃貸条件を聞くことですべてが決まるのであつて、家主とは、契約書にはんこを押すときに初めて会うのが普通である。これは、転勤の都度自ら住宅を捜さなければならない普通のサラリーマンにとつては常識に属することであつて、経験則上明らかである。

これを、モービル石油社員谷口浩一郎の具体的の行動に即してみると、同人は不動産屋へ行つて本件家屋の紹介をうけ、家賃、敷金、権利金等の説明を聞き、現地を検分し、気にいつたので不動産屋と口頭で契約し(会社からの許可があることが停止条件となつていたと思われる)、会社に申請して許可を貰い、不動産屋の教えるところに従つて上告人の預金口座に敷金及び二月分の家賃を振り込んだのである。無論、法的には不動産屋との口頭契約時に賃貸借契約は成立している。しかし、問題は、乙第一三号証の契約書が実際にはいつ作成されたかなのである。

上記のとおり、法的に契約が成立した時と契約書が成立した時と契約書が作成される時とは異時であるという実態を直視すれば、原判決の掲げるような理由は、昭和五七年一月二六日以前に契約が成立したことをを認定する理由にはなりえても、同日以前に契約書が作成された理由にはなり得ない。原判決はこの点を故意に混同して、契約書の作成が昭和五七年一月二六日以前だとしているのである。

五 小結

以上のとおり、上告人が昭和四五年九月から、同四八年六月まで、及び昭和五六年一二月一一日から本件家屋に居住したことは、各証拠に照らして明らかである。被上告人は、「給与所得者の扶養控除等申告書」等いくつかの書類の記載を挙げて反論するが、それらはいずれもるる説明したとおり被上告人の思い込みによる曲解ないしは誤解である。

上告人が被上告人の主張するように居住してもいないのに居住しているような外形を整えたものだとすれば、上告人が被上告人に少し調査され「くい違い」が露見するような「ヘマ」をするはずはない。むしろ、このような多少の「くい違い」の存在こそ却つて上告人の主張の真実性を表わすものである。

第三、居住の目的について

一 被上告人は上告人が本件家屋に昭和五六年一二月ころから昭和五七年六月ころまでの間居住していたとしても、右居住は「措置法三五条一項の適用を受ける目的をもつてなされたもの」もしくは「平戸町住宅の売却のため、あるいは柏市土地上に建築する家屋の新築までの期間中の仮住いというほかない一時的目的」をもつてなされたものであると主張し(昭和六一年二月二八日付準備書面)、原判決も、上告人が昭和五七年二月初旬に本件家屋に入居したことを前提に、上告人の入居は、措置法三五条一項の適用を受ける目的のみの為であつたとしている。

しかし、第二で詳論したように、上告人が本件家屋に入居したのが昭和五六年一二月一一日であることは、動かしようのない事実である。そして、その入居が措置法三五条一項の適用を受ける目的のみをもつてなされたものではなく、かつ「平戸町住宅の売却のため」ではあるが決して仮住まいではなく、あるいは「柏市土地上に建築する家屋の新築までの期間中の仮住いというほかない一時的目的」でもつてなされたものでもないことは、つぎの二以下の論証によつて明らかである。

ただ、本件にあつては、居住開始の時期(昭和五六年一二月一一日)と売買契約の時期(昭和五七年三月二一日)が近接しているため、そもそも脱法目的での入居だつたのではないかとの疑惑を受けたものである。しかし、本件資産の売却は、以下述べるように、入居後に生じた事情によつて行われたのであつて、決して入居自体が脱法目的であつたのではない。

なおここで注意を要するのは、「居住の用に供していた資産」については、入居時に「措置法三五条一項の適用を受ける目的」が併存していても、一向に差し支えないということである。そうでないとすれば、居住用資産を売つた場合には三〇〇〇万円の控除が受けられるということを知りつつ入居したものはすべて、措置法三五条一項の適用を受けられないということになるからである。従つて、居住の用に供していた資産について措置法三五条一項の適用がないというためには、それが「居住の用に供していた」といえないような状況が存在する場合(例えば、その居住の用に供するための家屋の新築期間中だけの仮住いである場合)及び専ら措置法三五条一項の規定の適用を受けるためのみの目的で入居した場合に厳密に限られなければならない。

二 上告人の本件家屋への入居は、仮住まいでも、脱法目的でもない。

1 上告人は、平戸町住宅の売却を考えていたが右売却がうまく進まずに苦悩していたところ、昭和五六年一一月一五日、冷水との本件家屋の賃貸借契約が解約できたので、平戸町の住宅の売却を促進するため、平戸町住宅から本件家屋に引つ越し、平戸町住宅を空家にした方がよいと考え、昭和五六年一二月一一日から本件家屋に居住しはじめた。

この入居は、確かに平戸町の住宅の売却を促進するためであつたが、この時、上告人は平戸町住宅が予定どおり売れたら柏市の土地に家を新築して住むが、売れなかつたら柏市の土地を日本住宅公団に返還して本件家屋に住み続けようと考えていた(第六回原告本人調書五丁裏)。しかし、平戸町住宅は、昭和五六年三月ころから売却を依頼していたのにもかかわらず、九か月たつても未だに売れず、今後もほとんど売れないと思つていたから、多分柏市の土地を日本住宅公団に返還することになるだろう、と考えていた(第六回原告本人調書六丁表、裏)。

入居時、上告人が、「平戸町住宅は、今後も売れる見込みがないので、柏市の土地を日本住宅公団に返還し本件家屋に永住することになるだろう」と思つていたことの証拠は、次のとおりである。

第一に平戸町の住宅は上告人の予想どおり現実についに売却できていない。売却できなかつたのは、客観的には売却できる可能性が乏しかつたからである。(原判決も、売却できなかつたのは、上告人の売却希望価格が高額であつたためと認定している)。これを上告人の立場から主観的にみれば、売却できないと思つている状態が上告人において継続して存続していたからこそ、ついに売却を諦めたのである。(売却できると思つているのならば、ずつと、売却一本槍でいつたはずである)。とすると、売却をついには諦めているというこの事実こそ、入居時の上告人の予測が、「平戸町住宅は、今後も売れる見込みがないので、本件家屋に永住することになるだろう」というものであつたことを、如実に証明するものである。つまり、上告人は本件家屋に入居した当初から売却を諦めた時点に至るまで、一貫して、平戸町の住宅が売れる可能性は低いと認識していたということになる。ということは、上告人は本件家屋に入居するとき、本件家屋に永住する可能性が高いという認識をもつていたということに外ならない。従つて、本件家屋に入居した動機は平戸町の住宅の売却促進ということであつたが、仮住まいの意志でもなく、措置法三五条一項の適用を受ける目的のみの入居でもない。

第二に、本件家屋に入居するとき、上告人は本件家屋を修繕しているが、その修繕の内容は、転売を目的とするものではなく、上告人自ら居住する為の修理であつたことが明らかである。

即ち、一般に第三者に売却する為に修理をする場合は、みばえを良くするということが主目的であるから、必ず内壁の塗りかえ又は張りかえおよび外壁の化粧直しが要求される。ところが本件家屋の修理には、そういう、外観を良くする為のみの工事は全く含まれておらず、床、建具、玄関、ベランダ、フェンスという実用一点張りの修理だけだつた(甲第一〇号証)。

第三に、右修繕を担当した千島工務店主である千島年男は、上告人が「本件家屋の修繕は、自ら住む為の修理だ」といつていたと証明している(甲第一〇号証)。

以上のように、原告が本件家屋に入居したときの意志は、「平戸町住宅は、今後も売れる見込みがないので、柏市の土地を日本住宅公団に返還し本件家屋に永住することになるだろう」というものであつたことが明らかである。

従つて、上告人の本件家屋への入居は、措置法三五条一項の適用を受ける目的のみをもつてなされたものでもなく、かつ柏市の土地上に建築する家屋の新築までの期間中の仮住いという一時的目的をもつてなされたものでもない。

2 被上告人は、上告人が本件家屋の他に平戸町住宅と柏市土地を所有していたこと及び妻が二葉住宅に居住していることを理由として上告人が本件家屋に居住する意思はなかつたと主張している。

しかし、柏市の方は土地のみであり家を建てる資金は無かつたのだから、柏市に住み替えるメドはこの時点では立つていなかつた。平戸町住宅の方も売却予定であり、上告人がそちらに居住する意思のなかつたことは明らかである。さらに、上告人が公判廷で述べているように妻とはずつと別居状態であり、昭和五八年九月に税務署員が二葉住宅の立ち入り調査をした際にも上告人の所有物は何も無かつたし、管理人も上告人の顔を見たことはないと答えていることから、二葉住宅も上告人の居住用の家屋とはいえない。

以上より、上告人の居住用の家屋は本件家屋以外には考えられず、従つて、他に不動産を所有していることを以て本件家屋に居住する意思無しとすることは出来ない。

3 次に被上告人は、上告人は本件家屋の売却を昭和五六年秋ごろから既に考えており、そのころから有楽土地に売却の相談をしていると主張し、原判決も乙第七号証を根拠として、この事実を認定している。

しかし、この乙第七号証の申述内容は以下に述べるように、虚偽に満ちており、全く真実ではない。

まず第一に、乙第七号証によれば、上告人が昭和五六年中有楽土地をしばしば訪れた際には、常に乙第七号証の申述者である古川茂が応接していた、との趣旨となつている。しかし実際には、上告人を常に応接していたのは、平戸町の物件の売却を担当していた同店の木戸勉であつて古川ではない。

この点に関し、古川は、「私が、中村忠氏から、同氏の所有する横浜市戸塚区上郷町字亀井一九〇一-二に所在する土地建物(以下「上郷町の物件」といいます)の売買仲介の委任を受けたのは、昭和五七年二月七日です。私は、これ以前にも中村氏と会つたことがあります。会つた状況は次のとおりです。

中村氏は、上郷町の物件だけではなく、横浜市戸塚区平戸町字会下根四八四-四一、三八、同町字糖ヶ谷五〇三-一七所在の土地建物(以下「平戸町の物件」といいます)も所有しており、これについては、昭和五六年中に有楽土地株式会社横浜店で売買仲介の委任を受けており、担当は、同店の木戸勉という者でした。中村氏は、平戸町の物件の売却状況の確認の為、よく横浜店へ来店されていましたが、偶然担当の木戸が不在のときに、やはり当時同店に勤務していた私が、同人にかわつて中村氏と面会したのです。そういうことが、昭和五七年二月七日以前にあつたということです。」と説明している(甲第九号証第二項)。

第二に、乙第七号証によれば、古川は上告人としばしば会つていることとなつているが、同人は実際には「中村氏と会つたのは二回程である」と上告人代理人に対し言つている(甲第一三号証第三項)。

もつとも、この二回程というのも、古川の誇張である。というのは、いくら強引な誘導によつて乙第七号証の内容を言わされたとはいえ、一度言つてしまつたものを根本から覆したとなると、税務署からどのような復讐をされるか分からないという配慮があるからで、同人としては、なるべく乙第七号証との矛盾を少なくしようと苦慮しているからである(この事実は、同人の供述が、書面作成の段階に近付くにつれ、乙第七号証の存在を気に病んだものとなつている-甲第一三号証第三、四項-ということから明らかである)。

また、この二回程というのが誇張であるのは、右第一の事情を考えても当然のことである。なぜならば、古川は、木戸が「偶然」不在であつたときに上告人を応対したのにすぎないのであるから、「昭和五七年二月七日以前に古川と会つた記憶はないが、仮に会つたとしても、一回である」という上告人の記憶(甲第一三号証第三項)の方が正しいとみなければならない。

第三に、乙第七号証の一の、問二一の問答によると、本件資産は平戸町の物件と並行して昭和五六年ころから売却依頼されていた、と申述されたことになつているが、これも虚偽である。実際に古川は、「昭和五六年ころから上郷町の物件を売却依頼されていた、という記述は誤りで、そういう事実はありませんでした。」といつているのである(甲第九号証第七項)。

第四に、乙第七号証によれば、昭和五六年中、上告人が古川と会つたのは、本件資産の売却の相談のためである、となつている。しかし、実際には古川はその事実を全面的に否定している。

もつともその否定の仕方は、甲第九号証では、「乙第七号証の二の『記』の1の欄の『中村氏が昭和五六年中から上郷町の物件の売却の相談に来ていた』という私の記述は不正確かもしれません。昭和五六年中に中村氏が来ていたのは、上郷町の物件の売却の相談の為に来ていたのではなく、平戸町の物件の売却状況の確認の為に来ていた可能性もあります。」あるいは、「乙第七号証の一の、問五の問答によると、『上郷町の物件』の売却相談のため中村忠氏がよく横浜店に来ていたのは、昭和五六年秋ころから、ということになつていますが、これもやはり右三、と同じく不正確かもしれません。

この当時、中村氏は、『上郷町の物件』の売却相談のために来店していたのではなく、『平戸町の物件』の売却状況の確認の為に来ていたとも考えられます。」等、相当曖昧である。

しかし、これも乙第七号証との矛盾をなるべく少なくしようと苦慮したあげくの表現であつて、実際には同人は、上告人及び上告人代理人に対して、上告人が昭和五六年中、有楽土地株式会社横浜店へ頻繁に行つた目的は、上郷町の物件(本件資産)の売却の相談の為に来ていたのではなく、平戸町の物件の売却状況の確認の為に来ていたのである、とはつきり断定的に認めている(甲第一三号証第四項)。

第五に、乙第七号証の一の、問一〇の問答によると、一般的に売却の依頼を受けてから委任状を作成するまでだいたい一週間くらいかかる、との趣旨の申述したことになつているが、この申述は偽造であつて、古川自身はこのようなことは言つていないと言明している。古川は実際には、「依頼を受けて即日査定し、即日委任状を作成することもあり、翌日になることもあり、ケースバイケースなので、依頼を受けて委任状を作成するまで一週間くらいかかるかという事例は、決して一般的でも通常のケースでもありません。」といつている(甲第九号証第五項)。

このように、原判決が被上告人勝訴の有力な証拠とした乙第七号証は、被上告人の強引な誘導によつて捏造されたものであつて、その内容は、全く真実と相違するものである。

上告人が本件家屋の売却を考えたのは昭和五七年二月になつてからであり、少なくとも上告人が本件家屋に居住しはじめた昭和五六年一二月以前には本件家屋の売却は全く考えていない(第七回原告本人調書六丁~八丁)。

4 上告人が、本件家屋を売却しようと決めたのは昭和五七年二月六日、税務相談で措置法三五条の適用を受けられるとの回答を得た時である。

(一) 入居の際、上告人は、冷水が漸く本件家屋を明け渡してくれたのだからここにずつと住んでもいいし、もしも平戸町住宅が売れればその売却代金を資金として、柏市の土地の上に家を建てて住んでもいい。平戸町住宅は、上告人の転居前から売却を依頼していたが売れそうになかつたから、多分柏市の土地を日本住宅公団に返還することになるだろう、と考えていた。

(二) その後昭和五七年一月半ばに至り、上告人は、平戸町住宅が売れない場合には、この際同住宅を賃貸に切り替えて柏の土地を返還し、経済的な負担を軽減しようかとも考え、不動産屋に賃貸の周旋の依頼もした。その結果、この時点では、売却と賃貸との二本建の状況となつていた。しかし、平戸町住宅を賃貸すると、柏の土地に建物を建てる資金が獲得できなくなるのは勿論のこと、せつかく抽選に当選したのに土地自体を返さなければならなくなる、という苦悩の板挟みになり、迷いに迷い、やはり賃貸は止めようと思うに至つた。だが、その間に不動産屋とモービル石油谷口浩一郎との契約は既に法的な効力が発生しており、上告人はこれに抵抗したが、遂に強引に承諾させられてしまつた。そこで、本件家屋も老朽化していることだし、いつそのこと、こちらを売つてみようかと思い付き、昭和五七年二月六日に税務相談に行き、本件家屋の譲渡につき措置法三五条の適用を受け得る旨の回答を得たので、翌七日に有楽土地株式会社に本件土地家屋の売買の仲介を委任したわけである。そして、昭和五七年二月一四日、平戸町住宅の賃貸借契約書に署名捺印する際に、本件家屋を売却した場合、他に家具等の荷物を保管する適当な場所がないので、乙第一三号証第一九条の特約(二階西側和室の一室に一時貸主の荷物を保管することを承諾する)をいれてもらつたのである。不動産屋及び谷口浩一郎としても、上告人がいやがつているのを敢えて賃借するものである以上、契約書にハンコを押して貰うためには、この要求を飲まざるを得なかつたのであろう。

上告人は、この時点でも、現実に平戸町の住宅が売れなかつたという経験を経ているので、本件家屋が売れるという確信は全く無く、柏市の土地を返還することになるだろう、と考えていた(第六回原告本人調書七丁~九丁)。

(三) このように、上告人が本件家屋を売却することを思い付いたのは本件家屋に入居して二か月位たつてからであつて、決して本件家屋を売ろうと決めてから、専ら措置法三五条の適用を受けることのみを目的として居住したのではないし、柏市の土地上に建築する家屋の新築までの仮住いという一時的な目的で居住したのでもない。

なお、仮に上告人が早晩、柏土地へ移転する可能性を予想しつつ、本件家屋に居住しはじめたとしても、移転の可能性と居住継続の可能性が相半ばしているこのような場合には、居住の意思が存在すると言うべきである。このような場合に居住の意思がないとされるならば「所得税の解釈上疑わしい場合には国民の有利な方に解釈すべきである(東京高判昭和四一・三・一五)」との判例に反するものと言わなければならない。

ちなみに、都市に居住する者の多くは、将来資金ができたら、より広い住居に住みかえようという意思で、何回かの買い換えを予測しつつ当該住居を取得するのが通常である。このような場合、もし「他へ転居する可能性を予想して入居したのだから真の居住とは言えない」とするならば、都市近辺で住居を取得した者の大部分が「仮住い」ということになり、明らかに不当である。従つて、早晩他へ移転することを予想しつつ当該家屋に入居した場合であつても、それが本拠を新築中その他これに類するような客観的状況によりいわゆる仮住いであることが明らかな場合でない限り、「居住の用に供する」もの、と判断すべきである。

三 小結

上告人が本件家屋を売却することになつたのは以上述べたとおり、平戸町住宅が空家にしても売れなかつたこと、平戸町住宅をモービル石油が賃借してしまつたこと、本件家屋が老朽化していたこと、税務相談に行つたところ、措置法三五条の適用が受けられるとの回答を得たこと、などの偶然が重なり、「平戸町住宅を売りたい」という当初の予定が「平戸町住宅の代りに本件建物を売ろう」ということに変化したことにつきるものである。

ただ、右変化が昭和五六年一二月一一日から翌五七年二月六日の間という短期間に起こつたため、税務署から疑惑を受けたのである。そして右疑惑も税務署が「一旦課税した以上何がなんでも税金をとる」というような態度にとらわれることなく虚心担懐に上告人の主張に耳を傾けていれば早期に解消したものである。その意味において本件は、税務署の国民から遊離した権力的体質が引き起こした無用の紛争であると言わざるを得ない。

第四、居住期間は短期でも良い

原審は「(措置法三五条一項)の適用をうけるためには~客観的にもある程度の期間を継続して譲渡資産を生活の拠点としていたことを要する」と解している(原判決理由二の1)。

しかしながら、措置法三五条一項は、「居住用財産を譲渡した場合には譲渡者は再び居住用代替資産を取得する蓋然性が高いこと、通常の家屋であれば特別控除の範囲内で取得できるであろうとの配慮から、居住用資産の譲渡者が所得税の負担なくして普通程度の居住用代替資産を取得することを可能にする趣旨に出たものである」(同理由二の一)。

だとすると、居住期間が「ある程度の期間継続」する必要はなく、短期でも一向にかまわないはずである

原判決のように、ある程度の期間継続して居住することを措置法三五条一項適用の要件とするならば、例えば

借家人が出ていつたので自ら居住を開始したところ、その翌日会社から転勤命令が出され、右家屋を売却して転勤先に代替家屋を購入する必要が生じた場合

あるいは

ようやくマイホームを手に入れ入居したところ、翌日郷里の親が死亡したため、急遽マイホームを売却して郷里へ帰らなければならなくなつた場合

等々、居住期間が極く短期であつた場合にはいずれも措置法三五条一項の適用を受けられないことになる。

いずれにしても同法は、生活の基礎である居住用財産の売却代金に課税すると当人の生活の基盤を奪うことになりかねないという配慮から制定されたものである。従つて居住期間の長短は、本来全く関係のないことである。

現に課税庁の実務も右のとおり運用されており、「譲渡した家屋における居住期間が短期間であつても、当該家屋への入居目的が一時的なものでない場合には」措置法三五条一項の適用がある、としている(「租税特別措置法の取り扱いについて」と題する昭和四六年八月二六日通達三五-二の(二)のイの注。なお右でいう「一時的」とは、同通達三五-二(二)のイ本文で例示されているように、「措置法三五条一項の規定の適用を受けるためのみの目的で入居した」場合又は「その居住の用に供するための家屋の新築期間中だけの仮住い」である場合等をさす。なお、この通達は、資料として提出している。)

又、被上告人も、その主張中において「居住期間の長短を問わない」ということは認めている(原判決「事実」中、第二の三の1の(三)の(2))。

以上要するに、原判決は、課税庁の実務でも行われていないような、課税庁に一方的に有利な法律解釈をしているのである。これが行政に対する追従でなくて何であろうか。

第五、税務署の不意打ち

上告人は昭和五七年二月六日、保土ケ谷税務署に本件家屋の譲渡についてわざわざ相談に行き、事情を全部話したうえで、これは居住用資産の売却で特例の適用を受けるという回答を得ているのである。(第六回原告本人調書七丁)。

「それなら」というので上告人は本件家屋の売却を決心したのである。それを税務署は、売却後いきなり課税すると言つてきたのである。これでは税務署は相談に来た市民にウソを教え、ウソを信じた市民を落し穴にはめて税金を強奪しているとしか言えない。上告人のふんまんやるかたなきを察していただきたい。

右に述べた被上告人側の背信的な不意打ちの一事をもつても被上告人の主張は排斥されるべきであるが、少なくとも本件訴訟について、保土ケ谷税務署の担当者が、本件家屋の譲渡につき措置法三五条の適用を認めていた事実は無視されるべきではないと考える。右担当者が考えたように、前項で述べた上告人が本件家屋を譲渡するまでの経緯を素直に解すれば、本件家屋が「居住の用に供している家屋」であることに何等問題のない事案であることが明らかなはずである。

第六、結論

以上に述べたとおり、上告人は昭和五六年一二月一一日に、居住の意思をもつて本件家屋に入居し、翌五七年六月二二日までそこを生活の本拠としていたのである。よつて、本件家屋は「居住の用に供している家屋」に該当し、この点に関する認定を誤つた被上告人の昭和五八年一〇月三一日付更正及び過少申告加算税賦課決定処分は違法であるから取り消されるべきである。

以上

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